星と森披講学習会第二回公演「からころも」
星と森披講学習会では、昨年に引き続き、第二回公演「和歌を歌う からころも」を行います。昨年の「古事記」から「伊勢物語 東下り」の世界へと移って、和歌披講によって業平の世界を描き出します。昨年ご体調の関係でご出演をいただけませんでした披講会、坊城俊周会長のご出演が決まっておりますほか、第三部では「女流披講」をフィーチャーして、披講の可能性を探ってゆきます。10月1日よりチケットが発売されますので、賑々しくご来場下さいますようお願い申しあげます。
公演日時 平成21年11月24日(火)
18:00開場 18:30開演 20:15終演
会場 紀尾井小ホール
第一部 「伊勢物語」第九段より 「からころも」
業平東下りの情景と和歌披講 出演 星と森披講学習会会員
からころも 着つつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ
名にし負はば いざ言問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと 他
第二部 対談 披講会坊城会長をお迎えして
坊城俊周 宮中歌会始披講会 会長
中島宝城 歌人、宮内庁歌会始委員会参与
伊藤一夫 星と森披講学習会 主宰
第三部 「をんなうた、をとこうた」
古歌より近代の歌まで、女流、男声、混声披講にて 出演 星と森披講学習会会員
難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花(「古今集」)
琴の音に 峰の松風 通ふらし いづれの緒より しらべそめけん(斎宮女御)
白鳥は 哀しからずや 空の青 海のあをにも 染まずただよふ(若山牧水)
やはらかに 柳あをめる 北上の 岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに(石川啄木) 他
チケット 前売 4,000円 当日 4,500円
発売 10月1日より、下記ホームページから申し込みできます。
アドレス http://www2u.biglobe.ne.jp/~BDN/postmail/ticket.html
ごあいさつ 星と森披講学習会 代表 伊藤一夫
今公演、第一部の主人公である在原業平は、光源氏とはまた別の意味で、恋に命をかける日本人男性のひとつの生き方を表しています。最近ではゴシップはともかくとして、男性の真剣な恋の物語りを聞くことが少なくなりました。こうした恋愛力の衰えは、社会から芸術性や文化性が奪われているひとつの現われとも見えます。仕事人間に化した日本人男性には、今や恋や文化を語らう力が失われつつあるのでしょうか。今夜は業平の命がけの恋を通して、もう一度、男女が真剣に愛に悩み、喜び、悲しんだときを思い出し、そこから生じるところの究極の魂の活動がもたらす言葉の力、歌の力を実感していただけましたら幸いです。また第三部では、私どもの活動の特徴でもある、女流披講をたっぷりお聞きかせしたいと思います。
「蘇れ、美しき和の歌、力ある声の歌」 歌人 中島 宝城
太古の昔から、山川草木、鳥獣虫魚、生きとし生けるものと共に鳴いていたヒトは、やがて歌を歌うようになりました。その歌から「声の言葉」がうまれてきました。そして言葉は、歌によって育てられ鍛えられ磨かれてゆきました。次には文字が創られ、時間、空間を超える有力な情報伝達の手段となりました。しかし、「文字の言葉」では伝えることのできないものもありました。
日本では和歌をもっぱら「短歌」と呼ぶようになった頃から、しだいに歌を歌うことをしなくなり、歌よみの多くが歌うことを前提としない歌を文字で作るようになってきました。言葉の調べや声の響きを軽視した歌は、自然に、人の心を動かす美しさや力を失ってゆきました。これは生きものの息吹である声を失った歌の行き着くところでもありました。
和歌は、発生の原初から、声に出して歌われてきた「歌」であります。今また「和歌を歌う」ことからはじめて、歌を美しく力ある歌にしましょう。
和歌を歌うには 東京成徳大学教授 青柳隆志
和歌はもとより「ウタ」であり、本来は歌われるものであったことは言うまでもありません。しかし、おおらかな古代歌謡の時代から、和歌が徐々に洗練された文芸へと変化してゆく過程において、和歌は高らかに「ウタ」われるものから、しずかに吟じられ、その歌詞を味わうという形をとるようになりました。平安時代以降、こうした歌い方がととのえられ、現在、「宮中歌会始」で行われているような形に収斂してゆきました。このような伝統的な和歌の披露の仕方を「披講」と呼び、由緒あるものとして今に伝えられています。
公演日時 平成21年11月24日(火)
18:00開場 18:30開演 20:15終演
会場 紀尾井小ホール
第一部 「伊勢物語」第九段より 「からころも」
業平東下りの情景と和歌披講 出演 星と森披講学習会会員
からころも 着つつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ
名にし負はば いざ言問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと 他
第二部 対談 披講会坊城会長をお迎えして
坊城俊周 宮中歌会始披講会 会長
中島宝城 歌人、宮内庁歌会始委員会参与
伊藤一夫 星と森披講学習会 主宰
第三部 「をんなうた、をとこうた」
古歌より近代の歌まで、女流、男声、混声披講にて 出演 星と森披講学習会会員
難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花(「古今集」)
琴の音に 峰の松風 通ふらし いづれの緒より しらべそめけん(斎宮女御)
白鳥は 哀しからずや 空の青 海のあをにも 染まずただよふ(若山牧水)
やはらかに 柳あをめる 北上の 岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに(石川啄木) 他
チケット 前売 4,000円 当日 4,500円
発売 10月1日より、下記ホームページから申し込みできます。
アドレス http://www2u.biglobe.ne.jp/~BDN/postmail/ticket.html
ごあいさつ 星と森披講学習会 代表 伊藤一夫
今公演、第一部の主人公である在原業平は、光源氏とはまた別の意味で、恋に命をかける日本人男性のひとつの生き方を表しています。最近ではゴシップはともかくとして、男性の真剣な恋の物語りを聞くことが少なくなりました。こうした恋愛力の衰えは、社会から芸術性や文化性が奪われているひとつの現われとも見えます。仕事人間に化した日本人男性には、今や恋や文化を語らう力が失われつつあるのでしょうか。今夜は業平の命がけの恋を通して、もう一度、男女が真剣に愛に悩み、喜び、悲しんだときを思い出し、そこから生じるところの究極の魂の活動がもたらす言葉の力、歌の力を実感していただけましたら幸いです。また第三部では、私どもの活動の特徴でもある、女流披講をたっぷりお聞きかせしたいと思います。
「蘇れ、美しき和の歌、力ある声の歌」 歌人 中島 宝城
太古の昔から、山川草木、鳥獣虫魚、生きとし生けるものと共に鳴いていたヒトは、やがて歌を歌うようになりました。その歌から「声の言葉」がうまれてきました。そして言葉は、歌によって育てられ鍛えられ磨かれてゆきました。次には文字が創られ、時間、空間を超える有力な情報伝達の手段となりました。しかし、「文字の言葉」では伝えることのできないものもありました。
日本では和歌をもっぱら「短歌」と呼ぶようになった頃から、しだいに歌を歌うことをしなくなり、歌よみの多くが歌うことを前提としない歌を文字で作るようになってきました。言葉の調べや声の響きを軽視した歌は、自然に、人の心を動かす美しさや力を失ってゆきました。これは生きものの息吹である声を失った歌の行き着くところでもありました。
和歌は、発生の原初から、声に出して歌われてきた「歌」であります。今また「和歌を歌う」ことからはじめて、歌を美しく力ある歌にしましょう。
和歌を歌うには 東京成徳大学教授 青柳隆志
和歌はもとより「ウタ」であり、本来は歌われるものであったことは言うまでもありません。しかし、おおらかな古代歌謡の時代から、和歌が徐々に洗練された文芸へと変化してゆく過程において、和歌は高らかに「ウタ」われるものから、しずかに吟じられ、その歌詞を味わうという形をとるようになりました。平安時代以降、こうした歌い方がととのえられ、現在、「宮中歌会始」で行われているような形に収斂してゆきました。このような伝統的な和歌の披露の仕方を「披講」と呼び、由緒あるものとして今に伝えられています。
坊城俊周会長、坊城俊在様ご指導
6月3日(水)夕刻、披講会坊城俊周会長、坊城俊在様をお迎えしての披講学習会が、渋谷区立代々木八幡区民会館で行われました。女声披講三首、男声披講五首をお聞きいただき、ご懇切なるご指導を頂戴いたしました。坊城会長のご本復を寿ぎますと共に、今後ともよろしくご指導を賜りますようお願いを申し上げます。
ジェームズ・カーカップ氏逝く
去る5月10日、アンドーラ在住の詩人、ジェームズ・カーカップ氏が、脳梗塞のため91歳の生涯を閉じました。
イギリス中部の港町サウスシールズで1918年に生まれた彼は、名門ダラム大学で学び、1947年に詩集「The Drowned Sailor」で詩人としてデビューしました。1950年に新設されたリーズ大学のグレゴリー・フェローシップの最初の対象詩人となり(~1952年)、バース芸術学校の客員教授を経て、1959年に東北大学教授として招聘されて日本に渡り、以後日本女子大学、名古屋大学で30年余りにわたって教鞭をとり、この間、英国王立協会の文学部門の協会員に選出されています(1962年)。
平成9年(1997年)の宮中歌会始の陪聴者となり、この際、学士会館において、伊藤社長主催のレセプションが行われました。この縁により、平成11年(1999年)に始まった星と森国際短歌大会では、英語部門の選者を10年にわたり務めていただきました。その真摯で時に辛辣でさえあった選評に、英語短歌の第一人者としての矜恃を見ることが出来ました。
謹んで哀悼の意を表します。
【追悼記事】
タイムズ紙
http://www.timesonline.co.uk/tol/comment/obituaries/article6275318.ece?token=null&offset=0&page=1
デイリーテレグラフ紙
http://www.telegraph.co.uk/news/obituaries/culture-obituaries/books-obituaries/5314221/James-Kirkup.html
朝日新聞.com
http://www.asahi.com/obituaries/update/0513/TKY200905130297.html?ref=rss
イギリス中部の港町サウスシールズで1918年に生まれた彼は、名門ダラム大学で学び、1947年に詩集「The Drowned Sailor」で詩人としてデビューしました。1950年に新設されたリーズ大学のグレゴリー・フェローシップの最初の対象詩人となり(~1952年)、バース芸術学校の客員教授を経て、1959年に東北大学教授として招聘されて日本に渡り、以後日本女子大学、名古屋大学で30年余りにわたって教鞭をとり、この間、英国王立協会の文学部門の協会員に選出されています(1962年)。
平成9年(1997年)の宮中歌会始の陪聴者となり、この際、学士会館において、伊藤社長主催のレセプションが行われました。この縁により、平成11年(1999年)に始まった星と森国際短歌大会では、英語部門の選者を10年にわたり務めていただきました。その真摯で時に辛辣でさえあった選評に、英語短歌の第一人者としての矜恃を見ることが出来ました。
謹んで哀悼の意を表します。
【追悼記事】
タイムズ紙
http://www.timesonline.co.uk/tol/comment/obituaries/article6275318.ece?token=null&offset=0&page=1
デイリーテレグラフ紙
http://www.telegraph.co.uk/news/obituaries/culture-obituaries/books-obituaries/5314221/James-Kirkup.html
朝日新聞.com
http://www.asahi.com/obituaries/update/0513/TKY200905130297.html?ref=rss
『歌会の作法』第26回研究会
本日午後10時より第26回研究会です。写真は田邊尚雄氏『日本音楽講話』(大正八年)掲載の披講席次指図です。